自己責任論と英雄視への違和感(安田純平氏の会見を経て)
AnswerNewsです。
本日2018年11月2日、安田純平さんの会見がありました。
最近、自己責任論や英雄視で過激に論争が起こっているようですが、どうなんだろうか。
結論から言うと、考え方の批判ばかりで、単純に人命が救われたということが良いことであるという本質が抜け落ちていると考えている。
本当はただいいニュースなのではないのか?
本日の会見についての記事を引用しておきます。
まず自己責任論について
安田氏が以前から「死」という自己責任はとるつもりと仰っていた。
そして事件後も拷問を受けたのも自己責任だと述べている。
ただ多くのお金がテロリストにわたった、その責任もとれとなっているのが昨今の自己責任論と思っている。
このことについての私の違和感は、お金で人の尺度を測っている点である。勿論、交渉などではお金が絡む話ではあるが、支払うことに納得して払ったお金なのである。
お金が人の評価であると考えてしまうとマイナス思考に陥ってしまうと思う。
その点、人が助かってよかったじゃないかと感じる。
無茶なことをしたのだから見捨てろというのは、職を失った人がコンビニで万引きをしたという無茶なことをしたときに、社会復帰の機会を一切与えないと言っていることと近くないだろうか。
親が何歳になってもその子供が失敗したら助ける、これは国民と国の間にもあることです。
こういう自己責任で捕虜となることで多方面に迷惑をかけ感謝することになるとわかればいい事だと思います。
次に英雄視についてである。
英雄視は、ジャーナリストとして戦場に行き、生き延びたことは素晴らしいと称賛することに対して使われている言葉のようだ。
英雄…すぐれた才知・実力を持ち、非凡な事をなしとげる人(引用文)
残念ながら捕まってしまった人にこの定義を当てはめる人は少ないと思います。少なくとも安田氏本人が望まないと思います。
ただこの英雄視という言葉が反発を助長していないだろうか。労うとかであればもう少し冷静に物事を見れたのではないだろうか?
安田純平さんが助かってよかったと思います。お金?リスクを恐れずに戦場に行くことはすごいと思いますよ。いかんせんあまりいい結果が出なかったので残念だとは思いますけどね。
もうちょっと計画的にしてくださいよ、とかそんなことは私個人正直思いますけどね(^^;)
でも国民に知らされないような情報を持ってるかもしれないし、安田氏には生きることへの力強さがあって、そんな素晴らしさはあったと思います。
この事件にもいい点はいっぱいあると思うので、悪いところばかり見るのではなくいいところを探してみてはいかがでしょうか?